夢想1
2002-2006

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8月30日
2006年
子供との旅行

少しお休みをいただき家族で旅行をしてきました。休息のはずなのですが今回は疲れました。私には二人の子供がいるのですが、下の子は1歳6ヵ月でやんちゃざかり。もうじっとしていません。上は上でなんともゆったりしていてイライラすることしかり。

そこで思ったのはやはり子どものスピード。やっぱり子どものスピードはゆっくりですよね、これに付きあうのは本当に苦痛でした。飛行機に乗るにも2倍の時間がかかるし、服を着替えたり、ごはんを食べたりするにも自分たちの何倍もかかってしまいます。どうしてそんなにも時間がかかるの、と爆発してしまったこともありました。

がまんや耐えることを知らない子どもが増え、キレる子が多くなったと言います。しかし親が耐えることを知らなくなってしまったというか、スピード重視になってしまってるな、と実感しました。旅行なのだから、急ぐこともないはずなのに、つい子どもを急かしてしまう。反省しきりの旅行でした。

7月10日
2006年
人生の目標

大学生の犯罪やエリート高校生の犯罪が大きく報道されています。とても悲しいことです。大学にしろ高校にしろ受験があって相当の苦労があって入学したことだと思います。なのになぜあのような凶行にでたのでしょう。

私には報道をみるかぎり本人達になぜそこまで勉強したのか、という目的がはっきり見えなくて苦しんでいたように思えます。一方でライブドアや村上ファンドは巨額のお金をもちながら何をしたかったのでしょうか。株式で儲けた人が東京タワーからお金をまいたなんていう話もありました。「もうけて何が悪い」とおっしゃいます。そのとうりで才能のあるかたがもうけることは悪くはないでしょう。しかし、儲ける目的はどこにあるのでしょうか。人生ゲームの紙のお金といっしょで、結局額が上がってることを(もうけていることを)楽しんでいたにすぎないようにみえてなりません。

お金はやはり大切ではあるけれど、目的にはならないような気がします、だから目的以上もうけてしまった彼らは持て余してしまったのではないでしょうか。目標があってそれを成し遂げるためのお金もうけなら、あんなにもバッシングされなかったのではないでしょうか。

今の日本の教育が間違ってるとすれば、夢や生きる目標を子供に与えていないことではないかと思うのです。学歴やお金があるから幸せ、という時代は過ぎ去って、生きる目標があることが幸せな時代なのかな、と思います。

7月10日
2006年
子供がいる幸せ

1人の女性が一生に生む子供の数がまた減りました。さてこのような少子化を考えるとき子供ができると経済的に苦しいという話がでてきます、それは正しいかもしれませんが、それは比較して、という前提があるように思います。つまり、独身である方が裕福、子供がいない家庭の方が自由、2人の子供がいる家庭より1人の方が余裕がある(よい学校に通わせられる)などなど。

本当はみんな比べさえしなければ昔よりづずっと裕福で子供を育てる余裕もあるとは思うのです。しかし他人との比較した時、子供を持つことが損、というな印象があるのではないでしょうか。決して独身や子供をもたないことを否定しているわけではありませんが、社会のしくみとして子供がいるほうが損するような社会ではいけないと思います。たとえば遊園地、電車やバスだって家族4人だったら割り引くとか、座席や順番を優先する、などなど。

いろんな意味で子供をもつ家庭がハンデにならず子供がいる幸せを感じられる、うらやましく感じられる社会構造の構築を望みたいと思います。

5月7日
2006年
命の大切さ

5月5日はお休みをいただいて子どもを遊園地につれていってきました。混んでいて大変だったのですが、それ以上に心痛むできごとに遭遇し、考えさせられてしまいました。

ムシキングの影響か、昆虫博のようなイベントが開かれており、そこではカブトムシが放し飼いにされていて触れるようになった場がありました。カブトムシは何百匹もはなしがいにされているのですが、それに対する子どもの行動には驚きました。カブトムシ同士を戦わせようとすることまでくらいはまだ分かるのですが(これすらゲームの影響で良くないとも思うのですが)無理矢理木から引き剥がし足が千切れても意に介さない子やお弾きのガラス玉のようにムシを集めて棒を使ってはじき飛ばしてる子(当然カブトムシは動かなくなる)、などなど。昔みた地獄絵でみる閻魔さまが人をあつかうような感じでしょうか。生き物を扱ってるとは思えない状態で衝撃をうけました。

もっとやさしく扱ってあげてね、とはいったものの、そんなきれいごとで命の大切さを教えられるのだろうか、とも思いました。

私達の小さな頃はちかくに虫や小動物もいて、結構ムゴイ遊びもしていました。カナブンに糸つけて飛ばす、アリの巣を潰す、バッタの足をむしってしまう、はてはカエルに爆竹をいれてふっとばす、などというとんでもないことをするやからもいました。ですから行為そのものは同じとも思うのですが、しかし、それにはすごい後ろめたさがあって大人の前では絶対しなかったし、まして大量虐殺的行為はしなかったように思います。逆にいうと死というものの怖さを遊びのなかから学んでいたのではないかと思うのです。

生活のなかでは魚を釣り、調理したり、場合によっては鳥もさばいたりもしました。

ゲームにあるようなバーチャルな死ではなく、リセットの効かない死。臭いや触感など五感に訴える死。

生き物の大切さを教えるということは、やはり死も教えなくてはいけないと思います。しかし、それをどうやって教えていくかは大変難しい課題だと思っています。

4月1日
2006年
外来変更

今年の冬はインフルエンザからはじまり診察が結構いそがしく、また他病院の勤務があったり、外来の変更の用意があったりと忙しく夢想も休んでいました。

さて、やっとのことで外来勤務の変更を皆様にお伝えすることができました。外来変更にあたっては正直いろいろ悩み(1人の方が方針が患者樣に理解されやすいのでは、とか、小児科医不足のおり他病院との兼ね合い、とか)、しかし、当院の特徴である休日診などを継続維持しより小児科を発展させていくには人員の増強は必要と判断しました。

患者樣にはいろいろな御意見もあり、御迷惑をおかけすることとあるかとは存じますが、御理解の程お願いいたします。

1月29日
2006年
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます、というのはもう遅いですね。このごろ外来が忙しくなかなか更新できていませんでした。年賀状いただいたかたありがとうございました。

年のいくのは早いものでもう一年たってしまった、というのが正直な感想です。去年の初頭の夢想ではえらそうなことを書いてますが、またもや皆様の期待にお答えできない一年でした。今年こそはなんとか皆様の期待にこたえるべく、小児科の増強をよりいっそう進める覚悟です。毎年少しづつ進歩していきたいと考えておりますので本年もなにとぞよろしくお願いいたします
12月24日
2005年
メリークリスマス

メリークリスマス。夢想もさぼってしまいました。

さて、このごろ自分の5歳の子をみて”似てきたなあ”と思っています。ニヤケているのではなく、少し困ったなあという意味です。食べてる時に集中できずテレビに気がいってしまう、お風呂からでてから裸でウロウロする、夜更かしする、朝に弱いなど父親の悪いところが本当に似てきました。また彼はボーリングが好きですがこれはどうも旅行したとき両親が喜々として興じてからですし、旅行も好きですが、これも旅行が好きなのではなく、どうも旅行だと両親が優しく接してくれて褒めてくれるのが嬉しいようです。親の行動を子どもはよくみているのだなあと思うことしきりです。

この頃こどもの事件などがあって”耐えることを知らない”子どもが多いといわれています。実際自分の子をみてもその要素が多分にあるのですが、しかしこれは一方では親が耐えることを知らない(耐えたがらない)からではないでしょうか。欲しいものを結構すぐに手にいれてしまう消費社会が根本にあるように思えてなりません。

経済的には”がまん”せず消費することはいいことなのでしょうが(推奨しているようにも思える)、その行動をみたこどもには結構な影響があるように思えます。こどもに耐えることを教えたいのなら親も社会も”がまん”するようにならねばならないと思います。

話は変わりますがある新聞で”少子化の傾向は何十年も前からわかっていたのにここまでになったのは政府の責任だ”という論評がのっていました。しかし少子化という言葉ですら報道はいままで取り上げてきたでしょうか。税金が増える、負担が増える、などといってやっとこの頃騒ぎだしているマスコミに後追いの感は強く、どうもこのあたりも問題提起しつづける我慢強さが報道にもないように思えてなりません。

9月11日
2005年
子育て支援

このごろやっと選挙でも「子育て」が争点になってきました。これは大変喜ばしいことですが、しかし、公約やテレビをみていましても”まだまだだな”とため息がでることが多くあります、”出産一時金を50万にする”、”毎月の児童手当を1万6千円にする”などと言った党もありました、これはこれで一歩前進なのですが全く一時しのぎで議員や党として全く勉強してないな、と思ってしまいます、建築業界へのばらまき政治と変わらない発想で”お金さえ工面すればいい”ということなのでしょう、全く工夫も発想もない意見で、これでは結局国の借金は増えるばかりなのかな、と思ってしまいました。

子育てにお金は必要ですが、それで解決するのなら裕福な家庭ほど子供は多くなるはずです、昔より今の方が出生率は上がるはずです、少子化の問題はお金なのではないのです(支援のための予算は必要ですが)もっと大きな我々では手のつけれないような(保育所作るとか公園を多くするとか)ことを考えて欲しい、少しのお金をみんなにばらまく(人気取り)のでなく、個人にはできない子育て支援=子育てを楽しくする社会の構築を政府にはして欲しい、付け焼き刃のマニフェストなんて言ってる場合じゃないと思います。

ちなみに、選挙中車の箱乗(窓から身を乗りだして手を振る)してる候補者がたくさんいました(和歌山じゃ、ほぼみんな)。子供になんと説明するのですか、道交法違反(にちかい)です、子育て支援といいながら(それを公約にするのなら)口先ばっかりで子供に見せれない態度をおとりになる政治家にはがっかりします。まだまだ子育て支援を真剣に考えて勉強されている方は少ないのでしょうね。

8月14日
2005年
教育方針

こどもの教育というのは、本当に難しいですね、このページでいろんなことを書いていますが、自分の子になると、なかなかどうしてよいのか迷うことばかりです、また自分の子といえど妻の子でもありますから、方針が異なる場合はどうしてもけんかになってしまいます、こどものことになるとどうしても女性の方が真剣で不安が強いように思いますがこれも男性からの意見でしょうか。

男性は仕事で外にでている時間が多いので気楽で、子供が失敗すると妻の育て方が悪い、などと言ってしまう傾向があります、この辺も不安を強くさせる要素なのかもしれません。あまりお互いいがみあっても、それはそれで子供にもよくないように思いますが、しかし、けんかを恐れて、なにも言わなくなれば男性の育児放棄だとも思っています。まあ、長期戦なので気長に構えるしかないのでしょうね。

7月18日
2005年
レゴ

レゴ(LEGO)というブロックを御存知でしょうか。結構昔からあって私も大好きで誕生日やクリスマスのプレゼントといえばレゴをねだっていました。レゴでつくりは壊しを繰り返し毎日のように没頭していたように思います。

ところがこの頃のレゴを見ますと少し疑問を感じます。はじめから顔を書いたもの、動物のかたちのもの、船も車もすべてできあがっているのです。我々が小さかった時、人の顔も動物もすべて四角のブロックを組み合わせて作っていたため象のつもりで作ってみても象にはみえなくて、立てようとしても立たず、くやしくて泣いたこともありましたが、いまにして思えばいかに似せようかと苦労したことが楽しかったように思います。私にはできあがりの象はあまり楽しみがないように思うのですが、いまはほとんどがそうなってしまいました。

しかし、これはすべて大人が悪いような気がしてなりません。大人が子供におもちゃを買ってあげるとき、どうしても見栄えののいい、簡単に出来るもの(子供にかわってつくらなくてもよいもの)を買ってしまいます、また子供ががんばって似せようとしたブロックを褒めてやってもいません。小さなブロックは誤飲の可能性もあるのでしょうが、子供の想像力を育てるという意味ではあまり似せすぎたブロックは必要ないのではと思います。それ以前にそういうブロックは子供の方でもすぐに飽きているようにも思います。

レゴのアウトレットの入り口にあるような大きなトラこそが、ブロックの本質のように思うのですが、どうなのでしょうか。

7月18日
2005年
リンク
ときどき院内に掲示しておりますメッセージがあります、河合隼雄先生という心理学者(文化庁長官でもある)のメッセージが毎月e-mamaというホームページのなかに掲載されているので気に入ったものをプリントアウトして掲示させていただいております。このような高名な先生のメッセージはどこか説教じみていているものですが、この先生のメッセージは押し付けがましくなく、私自身の子育てにも参考にさせていただいているので、ここでも紹介しておきます、
こちら からリンクしてみて下さい
5月29日
2005年
早熟

医学部の大学生が実験データをごまかして(ねつ造して)アメリカの有名雑誌に論文を載せようとしたという新聞記事がありました、有名雑誌に論文を載せるということは確かに名誉なことですし、それはとてもよいことだと思います、しかし、なぜそのようにねつ造までして早く論文を書かないといけないのでしょう。

早熟イコール”カッコイイ=できる”とは思ってはなかったでしょうか。周りの指導教官もそのように考えていなかったでしょうか。職業やプロと呼ばれる場合の早熟はまだしも学生に早熟を求めてはいけないと思います。うさぎと亀の話があるくらいですから昔からこのような話はいくらでもあったのでしょうが、結局は一生かかってどう生きていくか、どこまで到達できるかであって早くできたからといっても”えらく”はないということでしょう。

この学生も本当はべらぼうに賢いのでしょうから、もう少しゆっくり、じっくり研究する環境を周りが作ってやるべきだったのではないかと思います。
おなじことは、普通の子育てにもあるのではないでしょうか、あまり周りが早熟を求めないようにしなければ、と思います。

5月1日
2005年
旅行

趣味は?、と聞かれれば旅行かなと思います。独身時代はよく一人で旅行にでかけました。どちらかというと寒い方向やひとけのない方面にでかけ、見渡すかぎり人工物がないところでボーと景色をながめながら日のくれていくのをみる、ということが好きでした。(結婚して子供ができますとなかなかそういう旅行もできず、少しつらい日々なのですが、まあそれはしかたないですかね)

さてそういうところにいきますと、時間は本当にゆっくりながれ、風の音だけが聞こえてきます、空には鳥が舞い、白く大きな月が出て、地上では時に狐や熊などがカッポしています、こういうところにいきますと本当に人間は何もできないものだな、と思いしらされます、一夜の闇ですら耐えられないかもしれません、よほど動物の方がたくましく、優れた生き物に思え尊敬の念すらいだいてしまいます、

人は一人ではなにもできないのに少し偉くなりすぎたのではないでしょうか、自然に対する尊敬(畏敬)の念は忘れたくはないものです。

いつかはアラスカにいってみたいと思っているのですが、いつになることやら。(ちなみに妻は寒いところと淋しいところがが嫌い)

3月20日
2005年
少子化への理解
実家で食事をしていたある日のこと。
姉、父や母がおりました、そこで南海の貴志川線の話がでました、継続できるのだろうかと。廃線問題がでるのは車社会だからだとか、沿線に魅力がないからだとか。、いろんな意見がでるものの少子という言葉は結局かれらの口からはでないのです、かれらは毎日、新聞も読みますし、すこしは政治経済の話もするかたです、しかし経済の話と少子化は関連づけされていません、貴志川線にかぎらず今どこの鉄道でも旅客数の減少に悩んでいます、乗員数が少なくなったのも周辺の住民や子供(子供は車にのれません)の減少が最たる問題ということはあまり一般の方々には理解されていないように感じます。子供が少なくなると廃線にもなってしまうということがピンとこないように思えます、今の少子化が経済に与える影響を地域でもう少し具体的に提示して子育て世代より上の世代にアピールしていくことも必要であると思いました。
1月1日
2005年
2005年
あけましておめでとうございます、昨年中は本当にありがとうございました、至らぬことや皆様の御要望になかなかお答えできなかった一年だったと思います、慎んでおわび申し上げます。
今年は小児科開設5年目であり、私個人としましても40歳という年齢になります、40にして迷わず、ともいいますが、まだまだ迷ってばかりなのですが、やはり節目の年齢であろうと思っております、この先10年、小児医療がどうあるべきか、ということを考えながら皆様の御要望にお応えしていくよう精進していく所存ですのでよろしくお願いいたします
10月2日
2004年
お休み

先週お休みの日、妻に保健所の仕事があったので子供(4歳)と1日(朝9時から夜9時まで)遊ぶことになりました、

公園でもいって野外で食事でもするか、と考えていたのですがあいにくの雨、さあどうしよう、ということになりました、あっちへいったり、こっちへいったり、雨の日に子供と遊ぶのは本当に大変で(時間が潰れない!!)結構お金もかかったのです。

お金をだせば遊べるけど毎日は無理だしあきるなと思い、ふと子供と遊び場のことについて考えこんでしまいました(車の運転中だったのですが、、)私が子供の頃はまだ田んぼや川や池が近くにあって、また工事中の建物の中や空き地で遊んでも怒られなかった(危なかったのは事実ですが社会も子供に対して寛容だったと思います)、親が見張ってることも少なく自分達で兄弟共々遊んでいました、自由に遊べる場所が多く、お金もかかりませんでした、しかし今はどうでしょうか、空き地も少なく、あっても遊んでいたら怒られるし、本当に”ただ”で自由に遊べるところが少なくなったなあと考えさせられました。

雨の日も昔なら兄弟や御近所が多かったので家でもおもしろく遊べたのですが今は家ではテレビになってしまいます、きれいな町並みで安全になったことはいいことなのですが、もっと無料で自由に遊べる空間(雨でも走り回れるような空間があればいいのに)を昔より多く作らないことには子供にとっては昔よりつまらない町(大人の都合のよい町)になってるような気がしました

8月1日
2004年
運動会

夏休みが済むと運動会の季節です、

私は小学6年生の運動会は見学でした、小学校最後の運動会は組み体操をはじめ花形競技がめじろ押しで練習もしていたのに直前に自転車でこけて骨折してしまったのです、その時は悔しかっただろうし、みんなと一緒に運動会にでれないことが悲しかったと思うのですが、今、小学校の運動会の思い出といえば、その年のことしか思いだせないのです、他の楽しかったであろう運動会のことは全く思いだせず、先生に気をつかってもらって、他の仕事(アナウンス)をした運動会だけが記憶に残っています、

私だけのことかもしれませんが、すばらしいことだけが記憶としてのこるわけではないと思います、ほろ苦いことや悔しかったことも、その人の後々の人生では良い思い出として残るのではないでしょうか、

親として子供が失敗することは悲しいことです、しかし失敗は子供の特権であり、それを糧にして育っていくものと私は思います、運動会前や発表会前に風邪をひいたり骨折したりすることもあるでしょう、しかし無理せず怒らず、それに応じた思い出を作ってやれば子供にとってはきっとそれ以上の思い出を作れるのではないかと思います

7月9日
2004年
大平光代さん
異色の経歴をお持ちの弁護士さんで、現大阪市の助役です、経歴につきましてはここでは述べませんが、壮絶な生き方をされているかたです、(本もいくつかだされているのでお読みいただければおわかりいただけるかと思います)しかし私が感動したのはこの人の経歴やがんばりに対してではありません、子供や親に対する態度です、普通これ程の経歴をお持ちになると(昭和40年生まれで私と同じ年なのですが)押し付けがましく自慢じみた感じになるものですが決してそうではなく、ここまでになられたにも関わらず自分の失敗をこれからの子供達に決してさせまい、という決意のようなものを感じさせるところです、テレビでも一度拝見したのですが、子供や親に対しては優しく、社会に対するメッセージは真剣で強く、そして緊張感に満ちたものでした、子供を取り巻く環境についてこれ程の緊張感をお持ちになられている行政官や政治家を私は初めてみました、子供の環境を整えていこうとするこのような方が本当にもっと増えて欲しいと思います
6月22日
2004年
養老孟司さん

元東京大学の医師でベストセラー「バカの壁」の作者です、ベストセラーは私は嫌いなので読まないのですが「いちばん大事なこと」というタイトルの本があり読みました、

この本の多くは、どちらかというと男性向き(科学的でNHKスペシャル風)でテーマが堅苦しく感じられるかもしれないのですが、後半に教育論と子育て論がでてきます、数ページしかありませんが、大変興味深く読ましていただきました、子育て問題と環境問題はいっしょである、子供も環境も完全に制御しようとするから失敗するのだ、というのは本当にそのとうりだと思います、

近年ペットブームですがペットはよくて子供が嫌だというのはまさに、自分のコントロールできないものは嫌、ということの表れなのでしょう、ただ、これだけ子供の事件がふえると自分の子供がうまく育ってくれるのかが心配というのはわかりますし、それをなんとかしたい、というのも極々自然のなりゆきとは思います、自分のコントロールできないようなこと(人)がたくさん(何人も)あったらかなわん、と親が考えてもしかたないことではないかと思います、

この辺が少子化の原因なのではないかと思います、子供の事件を社会的責任と取り扱い、親の責任を軽減していく社会整備なくしては少子化は改善しないのではと私も思いました

4月9日
2004年
Alone Together
Alone Together という本を読みました、この本は特殊な能力をもつ主人公が不登校の児などと接していく、というお話です、この中である反社会的な行動をとる子供が主人公にいいます、少子高齢化の社会にあって子供は少数派である、民主主義では多数派である高齢者の意見を聞かざるをえない、今後子供にとっての理想の社会はできない、だから反社会的行動にでているのだと。これには少しショックでした昔高齢者は尊敬のされるべき存在でした、しかし、今では妬まれる存在であり、エゴの固まりであるかのように子供達にはみえているのでしょうか、年金問題や国債の発行などをみていると大人も考えなくてはいけません、借金の先送りなど子供はわかっていないようでしかっりみているのかもしれません、今の大人(老人)は、と嘆かれないような社会(子供にすてられない社会)にしていかなくてはいけないと思います
1月23日
2004年
今年の目標
2004年になりました、月山病院小児科も4年目に突入しました、患者様に支えられやっと続けてこれたと思っております、本当に至らないことばかりで申し訳なく思っています、今年は少しでもみなさんのご要望にお応えすべく、病院の改装および診察時間の改定を考えております、毎年少しづつでも前進していきたいと思っておりますので本年もよろしくお願いいたします
10月26日
2003年
少子化
女性が一生のうちに子供を生む人数は低下しつづけ現在1.3人になっています、夫婦2人から1.3人の子供しか生まれてこない計算です、
当然人口は低下していきます、この傾向を評して厚生労働省の大臣は国家存亡の危機である、といいました、ところが、あるニュース番組で高名な医師(外科医だったか)は”おおげさな、土地があまっていいじゃないか”と述べていました、医者というのは本当に見識がないのだな、と思いました(現厚生労働大臣も元小児科医師ですが)人口が減るとどうなるか、ミルクを買う人が減ることから始まって、電車に乗る人もへります、土地だってマンションだって余ります(値下がりしてあたりまえです)、病院でいえば患者さんの数は半分になるということです、給与も当然半分になります、また競争は少なくなり、優れた人材が排出されなくなります、経済がおちこんでいる、公共事業を増やせ、という政治家はいます、しかし日本人は1人、一生で平均一億円の経済効果があるとされています、保育所を増やす方がよほど経済に貢献できるのです、なぜ10年後を考えた発言できないのか、不思議なくらいです、人口が減った文明というのは歴史上必ず滅んでいます、日本が経済で先進国にいるつもりなら、まず少子化から取り組むべきと思うのですが、みなさんはどう思われますか
7月20日
2003年
子供の事件

このごろ子供の事件が多発して凶悪化しています、ゆゆしき問題ですが、ある大臣が親の責任だ、うんぬん、というコメントをだしました。

これがこの国の現実かと思うと悲しくなりました、子供が未成年である以上親の責任は免れません、しかし、多発している社会環境をつくったのは親ではありません、大臣がひどい発言をしたということは、大臣自身には責任がないと思っているからでしょう、子供がなにしようと親の責任であり社会や政治の問題ではない、ということなのです、社会はどうしてこんなに子供や子育てに冷たく責任をはたさないのでしょうか、大臣は国のトップですから国民すべてに責任を追って欲しい、こういう社会状態を真摯に受けとめ、対策を行い、予防につとめて欲しいのですが、親に責任転嫁するようでは進歩はありません。

我が国の悪いところは医療においてもそうですが予防ということに主眼がおかれていないということです、なにか大きなことがおこっても騒ぐわりには次にいかされず、その場かぎりなのです、いかに次を社会全体として防ぐか、興味本位ではなく危機感をもって取り組まないと日本の子供の環境は悪くなる一方です、親任せ(母親まかせ)にせず、今の社会状況が子供にいかに劣悪であるかを認識し、社会としてもっと子供に真剣に取り組むべきところにきているのではと思います

6月6日
2003年
育児支援

この頃の行政の育児支援や少子化対策をみていますと、物足りなさを感ずるのは私だけでしょうか、育児支援ではなく、母親支援に留まっている、という印象が私にはあります、子供を育てるのは母親であり、育児支援もよって母親をサポートすればよい、という前提があるように思えてならないのです、

ときどき考えることがあるのですが、私(男)が働きながら一人で子育てできるほどこの社会は優しいだろうかと、

たとえば、夕診の診療中はどこに預かってもらったらいいのでしょうか、当直なんてできないです、自分の子供の予防接種のために病院を休診にしてもいいのでしょうか、

子育て支援の最終目標は”父親ひとりでも子育てができる環境”の構築にあると思うのです、確かにその環境が子供にいいのかという議論はあるかとは思います、しかしそれは今の効率のみの現在社会全体にいえることです、子育てだけが古い方法をとっていてはギャップを埋めることはできないと思います、社会全体が古き(よき)時代にもどるつもりならともかく、経済大国のままの日本を目指すのであれば、子育てのシステムを改善すべきで、社会全体でこどもを支えるシステムを構築すべきです、報道などをみていますとどうも子育てだけを切り取ってコメントを出される方を多くみかけます、そうではなく社会全体がどういう方向なのか、なにを目指し、その中で子育てをどうすべきかを議論して欲しいと思います、行政官にはぜひとも自分ひとりであっても子育てできる環境を目標に子育て支援を考えて欲しいものです

5月3日
2003年
小児科学会総会報告

外来をお休みして患者様には御迷惑をかけることになりましたが4月25日から4月27日まで福岡で小児科学会総会に出席してきました、
そのなかで”キレル子供をどうするか”という議題がありました、いろいろな意見がありましたが、キレル子供は自尊心に乏しく大人になりきれない子供であろうとのことでした、では子供に自尊心をつけるにはどうしたらいいのか、もちろん学校や地域の問題もあるのですが、家庭で気をつけていくことも提言されていましたのでここで紹介させていただきます、
まず自尊心の高い(キレにくい)子は生活体験が十分にできているとの報告がありました、生活体験とは以下のようなものです

魚や肉を自分で焼いたことがある
木に登ったことがある
洗濯したことがある
おつかいをしたことがある
留守番をして電話にでて応対できる
ケガをして自分で手当てができる
友達に注意したり勉強を教えたりすることができる

これらのことは兄弟が多かったり田舎では比較的容易かもしれません、そして親の態度としては以下のことが大切であるとのことでした

必要以上に手をだし世話をしない
食べ物やおもちゃを容易に与えない
基本的生活習慣をしつける
家庭の中で手伝いを与える
ほめる時はほめ、叱る時はしかる
子供の生活を過剰にプログラムしない

つまり親は子供に知識よりも生活能力をつけてあげるべきで、子供を観察することは大切であるが手出しやプログラムしてはいけないということです、小児科外来で親御さんをみておりますと、観察しながら手出ししない、ということは現在の母親には結構大変なことで忍耐がいることかもしれません、親が社会生活を生き抜くにはスピードを求められるものですが、しかし子供にスピードを求めては可哀想で、子供のペースをじっくり見守ってあげて欲しいものです

2月15日
2003年
インフルエンザ
今年はインフルエンザが流行しました(それでもここ十年にしては平年なみとのこと)、インフルエンザの診断や治療はここ数年で大変進歩し報道も大きく取り上げるようになりました、しかし、変化が急すぎて医師も患者さんも製薬会社や検査会社もその進歩に戸惑っているのが現状です、インフルエンザはエイズなどとは異なり昔から知られている病気で医師は検査やお薬がない頃からインフルエンザを診察し治療してきました、実際ほとんどの人がお薬がないにもかかわらず完治(最大の合併症である脳炎、脳症は5000人から10000人にひとり)してきました、もちろん何万人に1人であっても重症化するのであれば新しい診断法やお薬を取り入れていくことは医師の使命です、しかし隣の子がインフルエンザだから症状はないけど検査して欲しい、お薬を予備においておきたい、発熱後すぐに(深夜でも)診察をうけないとだめだ、検査を何度もして欲しい、お薬がないと治らない、など医師としては過敏すぎるかな、とも思える反応も数多くありました、報道についてもセンセーショナルな話題に終始して不安を増大させている部分もあり、子供の状態に関係なくパニックになっておられる方もいました、患者数としては例年なみなのに検査やお薬が不足したというのは、この患者さん側の不安の増大を医師も検査会社も製薬会社も読み切れなかったということがもっとも大きな理由なのではと思います、このインフルエンザの問題を通じて改めて患者家族の育児不安(情報がありすぎて整理しきれない)をいかに解消していくかが今後の小児科医の課題であろうと感じました
10月10日
2002年
3歳児神話

三つ子の魂百まで、という言葉に代表される3歳児神話というものがあります、3歳まで(数えなので満でいえば2歳までなのですが)の発育が子供の将来に多大な影響があるので、それまでは母親が責任をもって育てなさい、というものです。厚生労働省の見解は育児支援の欄で書きましたが、それでもなお高名な先生がたのなかには3歳児神話をおっしゃるかたがおられます。

私は小児科医としての経験もたかだか12年くらいですからえらそうなことはいえませんが、そんなことはないだろう、と思うのです。たしかに、現在の子育てに問題は多く、乳幼児期にその原因が作られているのではないかと思うことはしばしばあります。だから2歳までが大切というのは、ある意味では正しい、と考えています。ただ、母親が養育者である必要はあるでしょうか、父親ではだめなのでしょうか、祖母や祖父ではだめなのでしょうか。

昔の母親はそんなに子育てに時間を割いていたのでしょうか、洗濯も食事の用意だってもっと時間がかかったはずですし出産数だって多く1人の子供にそんなに時間をかけれなかったでしょう、母親の死亡した確立も多かったはずです。一方皇族の方や将軍などは乳母という制度があって母親は育児参加しない風習でしたが、立派な方々が多かったと思います。つまり、私の個人的な意見は愛情さえ存分に与えられるなら、血のつながりは関係ない、むしろ母親が育児に疲れ、いらだつ(愛情が低下する)方が問題だろうと。バリバリ働いていた女の方が休職することは相当なストレスだろうと思います、それでも”血は水より濃い”という意見であれば男だって母乳はでませんが、一歳から二歳まで子育てのため休職して育児されればよいのです、孫が生まれたら退職すべきです、みなさん、できますか。僕にはできません。


世の中のスピードが早くなった今、育児だけが取り残され女性は昔の方がよかった、などというのはナンセンスだと思います。しかし、女性も子供のよき養育環境を整える最大限の努力が必要と思います。

8月18日
2002年
夏のロケット
夏のロケットという小説(川端裕人著、文春文庫)を読みました。火星旅行を企てる不良中年の話です。全くとんでもない設定なのに科学的肉付けがすばらしく、ひょっとしたら、と思わすものでした。私が感動したのは夢を見続ける中年とその思春時代の設定でした。現在の社会をみていて感ずることは夢や希望を語ることが本当に少なくなったのではないか、といういうことです。人は日常におわれ、夢や目標もなく走り回っているのではないか、と。このことは子供の教育にも反映しています、子供はなにを目標にすればいいのでしょうか、おとなはその回答をもっているのでしょうか。子供に夢を与えるためには、まずおとなが夢をもつことだと思います。”夢見るころはすぎても”という歌がありましたが、30代には30代の、40代には40代の、そして70になっても70の夢があっていいはずです。小説のなかで”まず夢をみること、それを実現させることに精いっぱい全力で努力すれば必ず実現できる”とは少し気恥ずかしいですが、”確固たる目標がなければどんなことも始まらない”とは真理なのではないでしょうか。

   
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