夢想2 

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 2005年-2002年夢想へ

11月15日
2008年
喜多嶋隆

多分ほとんどのファンは女性と思われ気恥ずかしかったので今までお話していなかったのですが、私の愛読作家の1人です。彼の小説は9割ほどは読んでいると思います。旅には必ず1冊は携帯し、酒とともに読む、というパターンです。

彼の小説の主人公のほとんどは、ある意味勝者ではなく、またははちゃめちゃな人ばかりです。しかし敗者がどうやって生きていくか、敗者には敗者なりの筋の通し方がある、というのがすべての小説の根幹でしょう。だいぶマンネリ化してきており新鮮味に欠ける場合も多いのですが、それでも人としての筋の通し方や生きていくうえでの流儀というものに、共感してしまうのです。

甘っちょろい、いかにも。でもちょっと、生臭い世間に疲れたときやズルをしたくなった自分をいさめる時に読んでいます。長編もありますが短編集もあるので一度読んでみていただければ、と存じます。

読んでみたら、やっぱり甘っちょろい、すいません。

10月30日
2008年
親の品格
ご存知のかたも多いと思いますが女性の品格をお書きになった昭和女子大学学長、坂東眞理子さんによる著書。私は男性なので女性の品格は読んでない(別に読んでもいいのですが自分に反映することはできない)のですが、これは自分のことだなあと思い買ってみました。多分賛否両論あるのではないか、と思う内容ですが、よくある女性作家特有の(ごめんなさい)押し付けがましさはあまりなく、失敗話などもあり、男性(男親)が読んでも、なるほど、と思わせる部分が多々ありました。子育て論や子育て環境論としては個人的には養老猛さんの考え方により共感しますが、親によりスポットをあて、親を変革していこうとする考え方をより強く感じます。男性(男親)も賛同できるかどうかはともかく毛嫌いせず読まれてみてはいかがでしょうか。
9月19日
2008年
講義再開です

保育科の後期の授業が再開となりました。30単位(90分×30回)の後半戦のスタートです。さて後半戦は予防接種の話からはじめました。

当院は海外渡航者のための予防接種をおこなっているため、留学される方、海外へ赴任される方、海外で暮らされていて日本に戻ってこられた方、そして外国の方で日本に働きに来られる方などが来院されます。そのため海外の予防接種事情については少し明るい方だとも思うのですが、以前にも書きましたが日本の予防接種はいまだまだまだです。水ぼうそうなどは接種費用はかかるものの、その後の医療費を考えると、医療費を抑える効果があるとされるものの接種は公費負担にはなっていません。HIb(インフルエンザ桿菌)ワクチンも販売延期続きなうえ、公費負担では始まらないようです。この二つだけでも、自費であれば3万円から4万円かかるでしょう。

お金のことは言いたくないものの、アメリカの予防接種はほぼ無料で日本の3倍以上のワクチン接種をしています。つまり子どもひとりにつき10万円以上のお金をつぎこんでいるのです。アメリカ在住ですが日本に一時的に住まれている方が、ご子息をつれてこられて説明申し上げると、アメリカ帰ったときに接種しますとのこと。どうなっているんでしょうね、日本という国は、という講義をしてみました。保育士さんの意識から変えていければ、とも思っていますがどうだったでしょう。

ちなみに当院には外国の方もこられるものの私は語学がからっきしだめでボディートークに近く、いつもあきれられながら、汗だくな姿に渋々納得されて帰られていきます。できれば外国の方は妻の外来の日に来て欲しい、と切に思っています。

8月31日
2008年
夏休み 4

少し統計がでたところで、沖縄に関するちょっとまじめなお話。

沖縄県の合計特殊出生率(一生のうちに一人の女性が生む子どもの数)は日本一です。日本全体では1.32、和歌山は1.34なのに、沖縄の1.74はぶっちぎりの日本第1位なのです。
人口でいうと和歌山県105万人、沖縄県135万人で大きな開きはないものの出生数(赤ちゃんの数)は和歌山県7930人、沖縄県16483人と倍以上の開きがあります。

なぜ沖縄県はこんなにも赤ちゃんが多いのでしょうか。子どもを何人生むか、ということは経済的な側面もあると言われています。しかし沖縄県の1人あたりの県民所得は全国最低で日本全体の2/3くらい、負債比率(借金の割合)も第1位、失業率にいたってはだんとつのワースト1で7.7%、なのです。和歌山県でこんな失業率であれば暴動がおきかねません。つまり、沖縄をみますと赤ちゃんをどれくらい生むか、ということは経済的問題ではないように思います。

沖縄の統計をみてますと、たしかに幼稚園や保育所、夜間の保育なども他の県にくらべ充実しているようです。だけれど突出したものではなく、とてもぶっちぎりの第1位を得るものではありません。

沖縄県は婚姻率も第1位ですが離婚率も第1位、開業率も第1位ですが廃業率も第1位です。つまり、まあ失敗してもええやんか、的な考えがあるようです。(沖縄の方には失礼な言い方で申し訳ありません、アメリカでいうトライアンドエラー、という意味で、失敗に寛容であるということなのです)そして今回、沖縄を旅行して感じたことは最初に書きましたが他の地方のリゾート(たとえば北海道)に比べても圧倒的にスローだということでした。

沖縄を旅して私は、少子化の原因は結局、制限速度以上に車のアクセルを踏むような、心に余裕をなくしていることが原因なのではないかと思いました。小児科医として私にできることはお母さんの心に余裕を生み出してあげること、なんだろうと思った今年の夏でした。

8月16日
2008年
夏休み 3

食べ物では、以前の弾丸沖縄学会ツアーでは、ゴーヤや沖縄の魚(熱帯魚のようなお色のお魚)のお刺し身などに手を出して、あまりの味覚の違いに懲りましたので、今回はあまり無理はせず本州と同じようなごく普通なものをいただきました。

沖縄ソバや豚料理などですが、これらは私の味覚にもあい大変おいしくいただきました。沖縄そばは、きつねうどんのお揚げの替りに豚の角煮がのってる、という感じで、関西人好みではないでしょうか。スウィーツではブルーシールという沖縄限定アイスクリームチェーンのもの、フルーツではパイナップルやマンゴなどがあり、お酒ではオリオンビールという沖縄限定ビールと泡盛(最もアルコール度数の低いものを頼みました)もいただきましたが、これらも大変おいしいものでした。沖縄だからと無理をせず注文すると本当においしくいただけました。

ところが沖縄県はビール消費量とアイスクリーム消費量は全国で最低だそうで、私はどちらも上位なのかと思っていましたので、びっくりしました。

8月11日
2008年
夏休み 2

自然観察では、潮どまり観察(潮の引いた岩礁に取り残された熱帯魚やカニやヒトデを観察する)、森林トレッキング、マングローブ林のカヌー、などをおこなってきました。そこにいる動植物は当然本州とは異なり、色鮮やかなものや独特なものが多く、南国の風情を十分に感じさせるものでした。

ただ、日ごろ運動していない私には体力的に大変で、トレッキングでは小学生の長男についていけない始末でした。沖縄は平坦だと思われるかもしれませんが北部は森が深く、高低差もあり、すばらしい自然を体験しようとすれば体力も必要なのだと思った次第です。

沖縄というとマリンスポーツのイメージでしょうが、これらの自然観察でみられる風景はとても質が高い(本州と違うことができるという意味も含め)と感じました。

7月31日
2008年
夏休み 1

早くに夏休みをいただきました。今年は少し遠く沖縄にいってきました。その感想などを数回にわけてお話します。

沖縄は2回目なのですが1回目は学会のためで、滞在時間18時間という弾丸ツアーで全く観光もせず帰ったので実質はじめての沖縄でした。沖縄は若者が多く騒がしい、という印象があり好きではなかったのですが、ガイドブックをみていますと北部はどうも違うらしく田舎感たっぷりである、ということでしたので、一度沖縄北部で自然観察ツアーをしようということになったのでした。

出発当日娘は発熱気味な上に家にカメラを忘れるという波乱があり、ピリピリモードでの沖縄初日がスタートしました。このピリピリ感も手伝ってかまずは沖縄の交通事情にびっくりしました。

那覇空港は沖縄の南部にあり目的の北部とは100km以上離れています。レンタカーを借りて移動したのですが、本当に皆さんゆっくり走られます。ゆっくりといっても法定速度ちょうどなのでそれでいいのですが、関西や北海道では考えられないようなスピードなのです。高速道路や北部では信号のない直線道路、まあ関西人なら100km/hでもだそうかという道路を法定速度ちょっきりで悠々と走っておられる、それも若者も含めて皆が。

ピリピリモードであった私は余計ピリピリになったののですが、そのうち少し慣れ、そして帰る頃には、まあしゃあないわ、という気分になりました。今回の旅行で結局終始ついてまわったこのスローな感覚はいままでの旅行先では感じなかったものでした。

7月1日
2008年
現代玩具博物館

かたいお話が続いたので今回は柔らかいお話を。

岡山県美作市(鳥取県との境あたり)に玩具とオルゴールの博物館があり、現代玩具博物館といいます。ここに昨年行ってきました。こんなことをいうと失礼なのですが、結構な田舎にある博物館ですから、たいしたものを期待せずに訪れましたが、その質の高さにびっくりしました。

玩具およびオルゴールの貯蔵品がすばらしいだけでなく、そこにおられる学芸員さん(おもちゃやオルゴールの説明をしてくれる)の知識の確かさ、また日々の勉強量の多さ(ヨーロッパまででかけておられる)、そしてこれらのものに対する愛情に、ただただ驚かされました。これらのものはほとんど都会の美術館やテーマパーク(ハウステンボスなど)におかれているものですが、それらに勝とも劣らない展示でした。

大阪から車で2時間、その近くには愛の村というちょっと名前がなあ、と思うけど設備充実した、コテージや温泉のあるキャンプ場があり、結構いろんな遊びが可能です。人も親切でお気に入りの地域になっています。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょう。

なおインターネットショップではいろんな玩具も販売してくれます。当院にもそこで買ったものが、あちこちにかけてあります、ちょっと探してみて下さい。

6月15日
2008年
小泉さん

政治ねたをもう一つだけ。
小泉元首相のしたことに批判があつまっています。
劇場型であるとか、弱者切り捨てだとか。確かに政策的にはいろいろ問題があったと思うのです。必ずしもいいことばかりではなかった。

しかし、言ったことは絶対折り合わず最後まで貫き冷酷でさえあった。またその是非を国民に問うた。この政治姿勢は高く評価できるのではないかと思うのです。

今はどうでしょう、民意が怖くて与党も野党も両すくみ。後期高齢者問題でも民意が怖くて譲歩ばかり。後期高齢化問題や消費税のアップは悪いことなんでしょうか、将来の安心に必要ならどうどうと議論するべきなのではないのでしょうか。あまりに、びくびくしすぎてる政治(なのに影でコソコソ)はひどいなあ、と思う今日この頃です。

6月9日
2008年
授業 3

もうひとつ驚いたことがあります。国の予算配分(社会保障費)のことです。、高齢者関係給付費と児童・家族関係給付費の割合、つまり国が高齢者および家族や子どもにいくらつかっているか、という統計です。

高齢者給付費は児童・家族関連給付費の10倍から15倍程度使われているのです。いくらお年をめした方の病気が多いからといっても、これはあまりに偏ってはいないでしょうか。諸外国では3倍から5倍程度になっていて、10倍を越えるということはないようです。

いま後期高齢者の問題がでており、高齢者の切り捨てであると世論はいいます。しかしこれほどまでに高齢者を大切にしている国民はないのです。もちろん高齢者のかたに手厚くすることは悪いわけではありません、しかし少子化が問題となり子育て支援が大切であるといわれていながら子どもだけに予算を増額できない、という官僚や政治家も多いと聞きます。それなのに高齢者のかたにはまだまだ予算を割くけれど子どもはがまん、ということなのでしょうか。高齢者の方を家族・児童に比べ大切にしすぎてる、といっても過言ではないと思うのですがどうでしょう。少なくてもそういう意見はあってしかるべきだと私は思うのです。しかしどの新聞をみてもそういう意見はありません。

これは教育にもいえることで、先進国の公立高校の授業料は無料であるところが多いようです。日本はどうでしょう。

結局、政治もメディアも高齢者の方の意見がとおり(医療界もそうですが)、今後の人口構成からするとよりいっそうその傾向が進むのではないかと思うのです。厳しい言い方ですが若い方にはせめて後期高齢者問題をもっと冷静に考えてもらいたいし若い人の意見を発信しないと若い人には住むに耐えない日本ができあがるのではないかと思います。唯一あるテレビ局のアナウンサーが社会保障の負担を高齢者にシフトする方法を模索するコメントを出されており、なるほどと思わしてくれました。

と書いたところで、ふとAlone Togetherという本の感想でこういうことを書いたなあ、と思いだしました。2004年の夢想ですが、その時からも状況は変わっていないことを少し悲しく思います。

6月1日
2008年
授業 2

さて、そこで講義するために資料あつめを行います。小児の病気の話ならいいのですが、保健の話(法律や行政の話)となりますと我々医者は(私だけかもしれませんが)からっきし勉強不足で、講義の前には講義と同等以上の勉強時間が必要となってしまいます。さてそこで勉強した話を。

和歌山の30年後って、どうなってると思いますか。和歌山県の人口は現在100万人ですが、それが73万人になります。人口構成では15歳未満が9%程度、15歳から65歳は52%しかなく、40%以上が65歳以上でそのうえ24%が75歳以上(和歌山に住んでる人の4人に1人は75歳以上!!!!)、和歌山市の人口は37万人から28万人に減少、子どもの数(15歳未満)は1/2程度となります。和歌山県の人口減少率は全国でワースト2(つまり最も早い部類)で、ここ30年間のうちに日本で最も早く少子高齢化が進むのです。この統計は政府系の人口問題研究所が5年ごとに発表していてすべての市町村別の予想もあり信頼性も高いのですが、しかしすでに2000年に発表されたものと2005年に発表されたものでは、2005年に発表されたものの方がより人口の減少が早くなっており、上で書いた数字ですら楽観できないものです。

この数字どうでしょう。私は和歌山(日本)に住みたくなくなりました。4人に1人が75歳以上というのは本当に異様です。

さてこんな厳しい予想が以前からあるにもかかわらず、皆さんどれだけご存知でしたか。せめてこれはモットモット議論があっていいのではないかと思うのです。もっとメディアに取り上げられるべきです。選挙の争点になっていいはずです。ですが実際はどうでしょう。皆さんはどう思われますか。

5月25日
2008年
授業 1

10年前から看護学校の小児看護の授業を続け、今年からは再び短期大学の保育科(保育士さんになるかたの学科)の小児保健の授業を頼まれおこなっています。周りからは”若い子に囲まれてええねえ”と冷やかされたりしていますが、しかし実態は本当に大変なのです。(学校の先生が登校拒否になる気持ちもわかる気がします)

私たちが受けていた当時の授業風景とはまるで変容してしまっているように感じます。今どきのお子さん=大学生なのですが、に授業を行うということは本当に大変で、なかなかこちらの思うとうりには授業が進行しません、つまり授業の主導権を90分間握り続けることが難しくなっているように思います。メールをする子、ぺちゃくちゃしゃべる子、授業の内容にいちいち声をだして反応する子、確かに私の力量不足なのでしょうが、しかしそれだけではない今の情報化社会が関連しているようにも思います。

私が学生の頃に仕入れた情報というのはほとんどが教科書でした、それ以外は図書館にいって、検索し、ということをしないと手にいれることができませんでした。しかしながら今は本当に情報に溢れています。診察でも同じですが、生徒(患者さん)の方が知識をお持ちだったりします。また教科書に載ってるような知識は別段おもしろくもありません。生徒以上の情報を集めてくるというのは大変なうえに、社会が進歩しているのに授業は黒板と教科書が主体というのもなにか時代遅れなような気がします。本当はテレビの報道番組のような授業をすればいいのでしょうが、とても個人では作成できません。

もっと教育(学校自体、教師、教材など)に対し時代にあった投資をせねばならないのではないかと切に思います。この辺は次回にもお話します。

しかし本当に教師は大変な仕事であると痛感しています。

5月10日
2008年
東京 2

学会ではどういう勉強をしてきたかというと、ゼイ鳴、新型インフルエンザ、新しいワクチン、不登校など。本当は3日間開催されているので、もう少し勉強すべきところなのですが、診察を休みすぎるわけにもいかず、これくらいで。

ゼイ鳴についてはさっそく前月号の院内報で書かせていただきましたので参照いただきたく思います。新型インフルエンザについては関東つまり行政側は相当の危機感を持っているようで、関西などの楽観的憶測とは違うものを感じました。詳細は省きますが、やはり新型インフルエンザについては相当の覚悟をもって準備しておく必要があるように思いました。新型インフルエンザのワクチンではないのですがHibという新しいワクチンはどうやら9月以降になるとのことです。

心の問題でもある不登校、こどもにとって心の問題は救急の後にくる重大な問題なのですが、診察のガイドラインを作っていこう、ということになってきました。ある程度までは一般の小児科医がみていくことが期待されているようですが、なかなか、カウンセリングの技法などを習得していくことには時間がかかりそうだと感じました。

せっかくお休みをいただいので今後の診療にできるだけいかしたいと思っております。

4月27日
2008年
東京 1

25日の夜診をお休みさせていただき東京へ学会にいってきました。
24日夜診が終わってから21時30分の関西空港発の飛行機に乗って東京へ、ホテルにはいれたのは飛行機が遅れたせいもあって24時、やっぱり遠かったです。前回、横浜行ったときは少し衝撃的であった、という話を書きましたが今回の東京はまた趣が違っていたのでその話を。

山手線は24時というのに、ホームに列ができるほどいっぱい、ホームの階段は雪崩のよう。やっぱり人は多かったです。だけれど横浜と違うのは、年齢層がはば広いということ。酔っ払いや、ちょっと怪しい人、お疲れモードの人も多く、また東京駅周辺はきれいになったとはいえ、ホームレスの人がいたり、と多彩な顔触れ。ちょっと安心したというか、大阪に近いなあ、と思った次第。泊まったホテルも奇麗なんだけどちょっと変、というかセンス?、という感じだし、コンビニ入ってもお箸入れ忘れてくれたりと、あまり劣等感を持たずに過ごせました。

ただ、うらやましい、と思ったのは多彩な顔触れに外国人の方もいるということ。行きのモノレールの隣の座席は中国人(多分香港ではないか)のグループ、山手線ではドイツ人?、ホテルでも外国人だらけ、帰りの山手線は韓国のかた、とまあ本当に身直に外国人がいるのです。ホテルだって、コンビニだって、普通に外国人に対応してるのです。

私は英語はほとんど話せませんし、外国人がいると身構えてしまいます。ですが日常でこれだけ外国人の人がいたら、まあ言葉は通じなくても普通におつきあいできるようになるだろうなあ、と思いました。そうすれば自分の世界観も変わるのではないかと、うらやましく思いました。

4月10日
2008年
こどもの財布

ちょっとご無沙汰しておりました。さてその間に4月にはいりそしてガソリンは安くなってしまいました。前回の続きを。

さて、あれ程騒ぎ立てていたガソリン、安くなってしまいました。ある党は”大変なことになる、予算がたてれない、暮らしが崩壊する”、といいいました。たしかに水面下では大変なのでしょう、しかし実感がないですよね。首相だって、大臣だって、緊張感ないですよね(暮らし崩壊してませんよね)、ひるがえっていうと日本はそれだけ大きく余裕のある国になっているのかもしれません。

こどもの財布にお金をいれておくと、1000円いれたら1000円、10000円いれたら10000円、きっちり使いますよね、それでも使いきってしまうと足らないといいます。いらないものまで買ってきてはすぐ飽きてしまい家の中にはほったらかしのおもちゃがいっぱいになっている、そういうことは経験ないでしょうか。いらないものが多くなってきたときお母さんはなんていうでしょう、お小遣いへらします!!!!。

だれでもお金を使いたい衝動はあるし、決まったお金を財布にいれておいて、使い切らないといけない、ということになれば、結構いらないものや少し贅沢なものに使ってしまいます、そういうシステムはあまやかし過ぎではないかと思います。また使った後はしらん、というところまで子どもの金銭感覚と同じでは、よけいにそう思うのではないでしょうか。

3月3日
2008年
和歌山県の道路

道路建設の是非が税金とからめて問われています。私は旅行が好きですし、車に乗ることも大好きです。車で福岡までラーメンを食べに日帰り旅行(往復1400km)をしたり、北海道を横断したり、はてはラリーという自動車のレース(JAFや警察署が公認したもので山林の中の道路を走る)をしていたものですから(この話はまた後日)多分他人と比べれば全国の道路は高速だけでなく走っている方だと思います。また和歌山県の道路事情も田辺に一年間勤務していたので紀南も含め、結構わかってるのではないかと思っています。

和歌山県の道路、やっぱりひどいです、国道といっても対向もできずガードレールもない崖道があったりします。私が田辺にいた時は広川までしか高速がなく和歌山市へでてくるのも大変でした。全国で最もよいと感じたのは北海道と新潟でした、本で読んだのですが47都道府県で印象として道路が良くないワーストは和歌山県と高知県であると書いてありました。(県境を越えると急に道がよくなったりすることも経験しますが、なぜ県で格差があるのでしょうね)

南紀では幹線道路は42号線しかないうえに、その走りごこちも悪いものです。だから和歌山県では道路整備は必要だと思います。他県より予算も多くつけていただかなくてはいけません。しかし高速(高規格道路)は必要なのでしょうか。たとえば日置川から串本を経由して新宮までは夜間は信号はほぼ点滅ですし、トラックなどが走っていない限りは法定速度上限で走れることはほぼ確実です。はたして高速料金をはらってまで必要と思う人はどれくらいいるのでしょう。また自動車専用道路は作っても生活道路はおろそかになってはいないでしょうか、42号線で歩道もなく、おばあちゃんが車道をフラフラ歩いていたり、高校生が自転車で狭い車道を走っていたりと危険個所は沢山あるように思います。また自動車専用道路では道沿いにお店をだすこともままならず、地域活性化につながるとも思えないのです。また高速は田辺まで延長しましたが、その稲荷インターのできたところの工事はすさまじいものがあって自然にやさしいとはとてもいえないものでした。

これは世界でもいっしょですが、温室ガス(CO2)の排出を規制しようとする時、発展途上国はよくこういうことをいいます、「先進国が温室ガスを出すだけだしておいて、環境が悪くなったから我々発展途上である国の排出を規制するとはけしかん」、これをいいだすと結局は規制はまとまらず地球環境はもっと悪化していきます。つまり道路もいっしょで国の財政が切迫していると片方でいいながら我々の道路はきっちり作れ、と権利を言い出すと結局は止めどなく支出は増えていきます。自治体首長がいうならまだしも国の代表でもある国会議員がおっしゃるのは和歌山県は栄えたけど国はつぶれたでいいのか、と納得しづらい部分があります。道路は和歌山にとってはまだまだ必要です、しかし昔と同じような方法で作り続けるのは時代遅れと思います。

昔、ミニ新幹線を和歌山に、という話がありました。誰がいったか知りませんが、今言ったら笑われますよね。

2月10日
2008年
旅行といえば2
もう少し龍神のお話をしを。
龍神でいつもお世話になるのは、龍神温泉の最も奥にあるお宿、(元は国民休暇村であったところ)、夕食も朝食もバイキング、ふとんも自分でひかなくてはいけませんが、とてもきれいで温泉もよく、そしてなにより値段が控えめ。(平日は特に安い)あまり教えたくはないのですがおすすめです。そして少し贅沢をすると冬の一定期間のみ夕食を鍋に変えてくれます。猪、鹿、きじとまあちょっと特殊なのですが、くさみがなく特に猪はおいしいです。これも龍神通いをしている理由です。
龍神というところは観光スポットこそ少ないのですが、いろんな試みをしている土地柄のようでパワーを感じさせる場所です。少し遠いですが温泉だけでもどうぞ(日本三大美人の湯ですから)
1月31日
2008年
旅行といえば
1月にお休みをいただいて、少し旅行にでかけました。もちろん今年もアドベンチャーワールドです。ただ私達の家では冬には龍神温泉によってアドベンチャーにいくのが恒例となってきました。前回行った時は大雪で子ども達は大はしゃぎ、今回も雪合戦したいとのご要望でした。ただそんなに都合よく雪はふりません。その日龍神は標高が高いといっても最低気温は2度どまりで雪どころか全くの青空でした。上の子は落胆、で高野龍神スカイラインに上ってみることにしました。高野龍神スカイラインは和歌山最高峰の護摩壇山を通過します。道には雪はないのですが、除雪した雪があちこちに残っており、それで雪合戦をして許していただきました。気温はマイナス4度、青空でしたが山は樹氷で覆われていて大変美しい風景を楽しませていただきました。(翌日の某新聞に掲載されていてびっくり)、今回はアドベンチャーが主役ではなかったかもしれません。
1月20日
2008年
2008年

遅れましたが、あけましておめでとうございます。
クリスマスの時の忙しさが嘘のように感染症は落ち着き、平和な年初を迎えています。

昨年でやっと私、厄を終了しました。私はあんまり信心深くはないのですが、この厄というのだけはやはり医療関係をしていますと年齢(心)と病気(体)との関係があるような気がして少し気にしておりました。40前半というのは今も昔も難しい年齢なんだろうと思います。

3年前に40にして迷わず、とは書いたものの遅々として迷ってばっかりだったような気がします。厄があけた今年からは気分一新、本年はネズミのように知己を蓄え、来年は牛のように着実に前進し、再来年はトラのごとく吠えるべく、頑張っていきたいと思っています。

本年もよろしくお願いいたします。

12月30日
2007年
ルイスと未来泥棒

息子にせがまれ、映画にいってきました。映画館で見るのは3年ぶりだったでしょうか。2人でいくのは初めてでしたがポップコーンをほお張りながら上記の映画をみてきました。

ストーリーは本当によくある話で目新しくもなく、お決まりのハッピーエンドで終わります。ただ、そこに込められたメッセージというのがあって、すごくアメリカ的なのですが、今回に作品に関してはとてもうまく当てはまっていたように思いました。特に男の子と父親には大変共感できる内容ではないかと思います。(女性にはちょっと共感できない部分があるんじゃないかな、と思いますが、、、)もっと詳しくストーリーをしゃべりたいのですが、それは見てのお楽しみということで。

たまたま息子が探してきて、たまたま父と子で見た映画ですが、夢見る父と子でみてもらいたい映画だと思いました。

映画の内容とは違いますが、映画の前の予告編の長さ、なんとかなりませんかね。

12月11日
2007年
回転すし

和歌山に全国チェーンの回転すしのお店がたくさんできてきました。チェーンの社長さんいわく和歌山はまだまだいける、とのことで有望市場だそうです。

さてそんなとある一軒にでかけてきました。息子は結構すし好きなので回転すしには結構いくのですが、今回行った一軒には、少し考えさせられてしまいました。

液晶画面をタッチしてたのめば特急レーンをすしが新幹線をかたどった台車にのって運ばれてきます。回転台にはキティちゃんの絵柄のはいったジュース、フルーツ、ケーキ、などがあります。お寿司は100円であれば上出来かなと思いましたが、店員との会話もなく演出満点に運ばれてくる食事、食事順序を無視した回転台、ものすごいお客さんでせわしないこと、などちょっとどうなんだろうと思ってしまいました。

順番を無視した華やかな回転台のものはすぐとれてしまい、いくら両親が食事の最初のジュースやケーキを拒否しても、ひょい、ととってしまえます。過剰な演出は子供にとっては家での食事が面白くなくなってしまいそうです。
私は食べるのが好きなので食事にうるさいのでしょうが、やっぱり食事を通しての教育というのも必要だと思うのです。大人がどういう食生活をしようとそれはかまわないのですが、この頃の回転すしは子どもをターゲットにしているにもかかわらず教育的な視点が抜けているような気がします。安く食事を提供するためたくさんのお客さんに来ていただかないといけないのでしょうが、もう少し考えて欲しいと思うのはうるさすぎなのでしょうか。

でももう息子は、また連れていけと言ってる、、、、。

11月27日
2007年
アドベンチャー報告

子どもからパンダに会いたいとの大合唱があり、アドベンチャーに行ってきました。

高速が田辺まで延びており、田辺までは快適に約1時間で到達しましたがそこからが渋滞でびっくりしました。まあ田辺に1年間ほど住んでいたので裏道を使いましたが、渋滞ポイントがかなりかわったなあ、という印象でした。そういう意味ではお土産屋さんなども大変だろうなあ、と思います。今までなら42号沿いの梅干し屋さんや干物屋さんによってたのですが、これからはまずよらないだろうなあ、と思ってしまいました。

高速道路は紀南の悲願だろうけど、沿線で商売している人にはつらいできごとなのかもしれません。巨大なお土産屋の一人勝ち状態で格差が広がっているようにも思えます。

で、アドベンチャー、私の年間パスポートが切れていたので6回目(?)の更新。が、なんと年間パスポートは1万2千円に値上げされていました。これは本当に痛い。まあ年間3回以上はいくとはいえ、ちょっとめげてしまいました。でもえさ代あがってるんだろうなあ。

子供たちは久しぶりのアドベンチャーに大はしゃぎ、午後から出発したのと渋滞で滞在は2時間程でしたが、まあなんとか納得していただきました。愛浜も明浜も本当に大きくなっていて外で遊んでだいぶ汚れていました。

値上げされたんだから、ますます来園回数を増やさねば、と誓う今日この頃です。

11月20日 美しい国、日本、の挫折

もう皆さんの記憶から消えかけてるかもしれませんが、9月に首相が退陣しました。なんとも突然の辞任でした。やめてからいうのも何ですが彼は志は高かったように思います。日本をヨーロッパやアメリカと張り合える国にしたい、と思っていたのではないでしょうか。サミットや教育会議での発言などを聞いてますと日本を立派な国にしたい、誇れるような国にしたいという意志がありありと見受けられました。

しかしながら、ちょっと残念なのはそういう発言が外国向けてのものばかりで、日本国民には響かないことが多かったように思うことです。「美しい国」自体が外国向けであったし、退陣前にサミットで見栄を張ってしまった、というのも間違いなく外国向けでしょう。その前のライオン首相はサミットでは全くもって泥臭かったようです。人気はあったが、田舎のおっちゃん、という感じだったと聞きます。

彼は本当に高い理想があったのだと思います。しかしながらあまりに自分自身や日本国を持ち上げ過ぎたのではないでしょうか。彼には強靱な肉体もなかったし、持続力もなく理想も途中でなげださねばなりませんでした。一旦やめて再チャレンジする機会もあったのに、あのような辞め方では、どうしようもありません。結局自分がいってた再チャレンジとはどういうことなのか、を彼は理解できていなかったということでしょう。

自身を知る、ということは自分自身にいつも批判的でなければならないと思います。それは蔑むことではありません。自分の弱点を見つめながら、そこをコツコツ直していく、職人気質、それが日本のよさである気がします。世界で活躍する人にとってはなにかせせこましくて、劣ってるように見えてなさけないのでしょうけれど。

日本のキャッチフレーズまた思いつきました、職人の国、日本。やっぱり泥臭いなあ。

10月23日 ボクシング

あるボクサーがバッシングにあってます。私も途中から試合を見ましたが、ひどい試合だなあ、と思いました。でもバッシングされるべきは周りだろう、と思います。あんなに未熟なのに、それを知ってるはずのおとな(みんなプロでしょ)がなぜ試合を仕掛けたのか、実力の違いを最も感じ恐れ反則せざるを得ないところまで彼を追い込んだのは誰なのでしょう。

もうひとつ不幸なのは兄がすぐれていることではないでしょうか、兄はなんだかんだいっても皆をあそこまで引っ張っぱり自分で明確に線路を引いてきました。父親だって兄で成功しなければあそこまでにはならなかったでしょう。

弟には、兄ちゃんと父ちゃんが引いてきたレールに少し疑問もあったかもしれませんし、また乗り切れなかったことに対しすごく落ち込んでるかもしれません。でも世界チャンピオンに兄弟ともになれるような素質などあるものでしょうか。失礼な話ですが競走馬だって、そんなにうまくはいきません。人間ならなおさらです。つまり、そんなに世界チャンピオンが甘くないことを皆わかってるはずです。兄と同じことをして、弟独自のやりかた、生き方をさせず、世間の笑いものにしてしまった父親や周りの責任は重いのではないか、と思います。

同じようなことは受験でもあるような気がします。勉強しろ、どこぞの良い学校にはいれ、兄ちゃん、姉ちゃんは東大なのに、なぜおまえはできないと。兄弟はコピーではありません。同じやり方が成功するということなど決してありません。上を目指すことはとても大切です。でも運動や勉学だけが頂点ではないでしょう、また皆が頂点に立てるわけでもありません。頂点を目指す教育は必要ですが、頂点に立てなかったものへのフォローをこの国は(親は)忘れているような気がします。

父親に申し訳なさそうでボクサー本人があまりにも落ち込んでいましたが、かわいそうでした。父親には一言”全責任はワシにある”、といって欲しかったです。受験シーズンが始まりますが、皆さまがたには、あの親のようにはならないで欲しいと願っています。

9月27日 隆浜と秋浜

アドベンチャーワールドの双児のパンダがまたもや中国に旅立ちます。この二匹はアドベンチャー初の双児で梅梅お母さんが一人で育てたことで大変めづらしいパンダでした。小さな時からとても愛くるしく、いつもいっしょに遊んでいて、とてもほほえましく眺めていました。多分飼育員の方も思い入れはひと塩なパンダではないかと思います。それだけに残念、そんなこと言わないでよ、中国さん。

だけれど、多分理由は、隆浜と秋浜が結婚できるメスがいないこと(パンダには4系統あって、結婚できる組み合わせは決まっている、人でいうと血液型で結婚できる相手の血液型が決まっているようなもの、らしい=不正確)なのでしょう。

まあ結婚できない、隆浜、秋浜もかわいそうなので、泣く泣く、「いっておいで。いいお嫁さんを見つけてね。」

9月12日 伝統的子育て

この頃、日本の伝統的子育て、という言葉がよく聞かれるようになりました。日本の子育ては欧米化し、父親や母親の役割分担ができておらず子どもの発育に影響があるので、父親、母親の役割分担がはっきりした昔の日本的子育てをしましょう、というものです。

この意見にそうと2歳までは母親の手で育てましょう、という3歳神話や子どもが病気の時ぐらいは仕事を休みなさい、という病児保育反対ということになります。

さて本当に日本の伝統的子育ては母親にゆだねられてきたのでしょうか。前にも書きましたが伝統ということであれば天皇家の子育てはつい最近までは乳母やその他の側近がになってきました。また将軍や大名でも母親が子育てをするということは特別なことであり時代劇ではもめている場面がたくさんでてきます。

上記は私は当然直接見聞きしたわけではありませんが、ここからは実際経験したことをお書きします。昔はよくお手伝いさんが各家庭におられました、何人ものお手伝いさんがおられた家庭も知っています。母親は家業の手伝いや日舞、お琴などの手習いで家をあけていることも多かったようです。かくゆう私の家庭も私が生まれた年に父親が開業したため、母親も忙しく、あまり家におらず、お手伝いさんに育てていただきました。伝統的子育てを推進する安倍首相(退陣表明してしまいましたが)ですら家族のそろった食事は一週間に一回もなかったとおっしゃったそうですから多分お手伝いさんに育てられたのではないでしょうか。政治家の妻ほどお忙しい女性を私は知りませんが伝統的子育て論からいえば全くもってけしからんというところでしょう。

たしかにこれらのことは少し特殊な家庭のことで一般的ではなかったでしょう。ただ現在でも家庭の事情でお子さまを保育所に預けられるかた、ベビーシッターさんの雇われるかたがおられます。これらの方が伝統的子育てに反する、けしからん、というのは少しどうかなと思います。

子育てにとって有害なのは生活の豊かさである、とおっしゃる方がおられます。これは私は正しいとは思っています。現在日本は本当にお金もちになったのではないかと思います。勿論格差はあるにしろ日本の歴史のなかで経験したことのないような裕福な時代なのではないでしょうか。それはしかし子育てにはマイナスでいろんな問題がでてきているのではないでしょうか。貧乏な日本(これが伝統的日本?)に戻ることはできない以上は裕福な時代の新しい子育て論をすべきと私は思います。

8月11日
2007年
子育て

私には子どもが二人います、7歳の男の子と2歳の女の子です。この二人の関係が最近とみに面白く(毎日みている母親にとってはウルサク)なってきました。まあ下の子がちょっかいばっかりだすことだすこと、お兄ちゃんが泣かされることもしばしばです。お兄ちゃんが作ったブロックやパズルも怪獣のごとく潰していきます。それでも、下の子を泣かしてしまえば兄ちゃんが怒られます。

しかし彼は月日を重ねるにつれ本当によく耐えれるようになりました。壊されても壊されても新しく組み立て、またそれが新しいよりすばらしい造型になったりもしています。たぶん一人っ子ではこんなに耐えることや泣かされることはなかっただろうな、と思います。

また、彼は当然母親がおむつを替えるのや食事の介助、子どもがどうやって大きくなっていくのかもみています。

私は末っ子なので、そのような記憶が将来にどのように影響するのか、記憶に残るのか自分ではわかりません。しかし、それが彼のキャラクターに影響を与え、また彼の将来の子育てに影響与えるのでは、と思うのです。(良いか悪いかはわかりませんが)私の子育てが劣悪なものであったにしろ、彼は”ああいう子育てはせんとこ”と思うのではないでしょうか。

一方、妹にしろ、お兄ちゃんが怒られるのをそばで見て、ほめられることを学習しているように思えます。(これは自分もそうであった)

子育ては本来本能のはずで、教えてもらわなくても、記憶になくてもできるものです。だけれど、よい子育てにしろ、悪い子育てにしろ、24時間離れることのできない兄ちゃんちゃんや姉ちゃんとしては辛いものであるにしろ、経験しておくことは貴重なことではないでしょうか。

もちろん、一人っ子が悪いわけではありません。しかし一人っ子の場合は、その子が父親や母親になった時、より子育てに迷いがでる可能性があるのでは、と思えるのです。その場合よりきめ細かい育児サポートを必要とするのではないでしょうか。育児不安もこういうところからも多くなっているのでは、と感ずる今日この頃です。

7月22日
2007年
成長か、逆行か

ある政党のキャッチコピーです。ちょっとうーんです。私個人的には逆行は困るけど、これ以上の成長もなあ、と思うのです。成長したって結局、ホリエモンや村上ファンドなんてのがでてきて社会規律はボロボロで、お金至上主義がはびこり、日本人は成長しているのかなあ、と思ってしまいます。もちろん経済が悪くなることはこまるのですが、成長、成長とといわれても、もううんざり、と思ってるのは私だけでしょうか。(昔、中学や高校でよく親に勉強しなさい、っていわれ、それでかえってやる気をなくした経験はないでしょうか)すくなくとも日本国内では国も地方公共団体も、日本国内を相手にした商売はすべて調整局面にはいらざるを得ません。大都市圏だって例外ではないといわれています。地方はここ十年くらいが問題だけれど、大都市はその後もっと大きな問題(すなわち高齢化した人が都市にあふれる)がでてくるとのことです。みんな不安で、それでも一生懸命働いて、でももっと働け(成長しろ)といわてもつらいですよね。

成績悪くてもしかたないじゃないですか、その成績を冷静に判断してみあった学校に入学すれば。(それで満足せず地道に努力しないといけないですけど)このままでは虚勢をはりすぎて人生棒に振る、みたいなことにならないかな、と思います。

7月1日
2007年
小児救急医療2

前回の続きのお話を。
日本人は年間平均何回医療機関を受診しているのでしょうか。

正解は年間平均約14回受診しています。これは欧米の2倍以上です。小児のみのデータは私は知りませんが、やはり多いことは確実であろうと思われます。

気軽に医療機関にかかれること、これは大変すばらしいことと思います。しかしながらそれにより救命救急や地域医療が崩壊することは避けなければなりません。

前回もお話したように、私は休日の受診だけを減らすことには限界を感じています、医療機関を受診することではなく日本の社会全体が子育てを安心して受けられるようになればそれはすばらしいことではないでしょうか。

ある時、保護者の方から「先生の院内報みてたから、熱性けいれんも受診せずに冷静にみれた」とおっしゃっていただきました。大変うれしい言葉でした。それぞれの不安度や経験もありますから皆さんにそうして欲しいのではありません、しかし、できるだけ子供の病気を理解していただこうとする努力と予防接種など病気の予防を行う努力を保護者のかたにはして欲しいし、我々医療関係者はその援助をしなくてはいけないだろうと思っています。

そしてそういうことに気がまわすことができるのは大きな病院の先生ではなく外来診療に長けた開業医の仕事であると思っています。

5月27日
2007年
小児救急医療

小児科学会でもうひとつ話題になっていたことは地域として夜間や休日などこどもの急病についてどうしていくか、ということでした。

小児科医になる人が少なくなって(遍在がでて)地域の病院で小児科医が少なくなり当直や時間外での対応が困難になっているのです。また人々の生活が多様化して時間外に受診される方が多くなっている、という事実もあります。

この生活の多様化という問題がやっかいで、小児科医のなかでも意見がわかれるところです。医療のコンビニ化である、という方もおられます。コンビニのように軽症にもかかわらず手軽に時間外受診を使いすぎるという意味で、重症患者さんが受診しようとしても対処できなくなる、ということです。

たしかに休日や時間外の患者さんは医療機関に集中します。私がとある大阪の市の休日診をしていた時、1日100人以上の患者を診て救急車が5台程度がやってきて、深夜の2時にカルテが20册以上おかれる状況は異様としか思えませんでした。その市の救急隊員にはこの50km圏内先生しか小児科医はいない(その中に100万人以上の人口がいる)と言われました。これでは、なんとか受診を控えて欲しい、救急車以外受診しないで欲しい、というのはその場の医者の立場からはしかたないことだと思います。軽症患者さんに”なぜ今くるのか”とつらくあたってしまうこともしばしばでした。患者さんのモラルが低下している、とまで思ってしまうのです。

しかし、考えてみると、さて100万人の人口がいるなかで、平日には何人の患者さんが小児科を受診しているのでしょうか。その数は10倍でしょうか、もしかすると20倍、は受診しているのではないでしょうか。ということは、ほとんどの患者さんは受診を控えられているということです。実際ほとんどの医療機関の月曜日や土曜日は通常の曜日にくらべ2倍程度の患者さんで外来はごったがえします。はたして休日や時間外受診は平日の何分の1まで減らせばいいのでしょう。

休日や時間外の患者さんが増えているのは事実です。しかし平日の軽症患者さんも増えていることも確実だと思います。(病気に対する不安のためでしょう)普段の曜日はどんなに軽くても、人数が多くても受診は構わないのに土曜日、日曜日は我慢しろ、というのは私は筋が通らないし、そんなことは不可能ではないか、と思っています。予防接種をはじめ予防処置をしっかりして病気を少なくし、普段から保護者の方の不安をとりのぞき、不必要な受診はさけていただくことを平日から実践しなくてはいけないと思うのです。(私もできていませんが)その地域の病気や不安を減らすような努力をし、平日の受診者数も減るくらいでないと、休日や時間外受診も減らないのではないかと思っているのですがどうなのでしょう。

5月5日
2007年
ゴールデンウィーク

ゴールデンウイークにお休みをいただいて子どもを連れて遊園地にいってきました。今回はアドベンチャーワールドではなかったのであしからず。

さて、さすがに混んでました。この遊園地にいくのは昨年の夏休み以来2度目なのですが、その時と比べても本当にいっぱいで20時閉園なのですが閉園間際でも乗り物はことごとく2時間まちでした。並ぶのが嫌いな私は併設されたボーリング場へいったり、温泉プールで泳いだりしておりました。

ここで思ったのは日本人はやっぱり同じ日に休むのが好きなんだなあ(子どもの学校の問題があるからでしょうが)ということと、お父さんの頑張りでした。行列の並びからご飯の買い出しまで、お父さんジャマモノと言われている今日この頃ですがやっぱり頼られている(というか、こきつかわれてる)こともあるのだなあ、と思いました。

当方の息子は泳ぐのが苦手ですが、ちょっとスパルタしたところ腕輪だけで泳げたことが嬉しかったようです。子どもは少ししたことで課題を克服していきます。うらやましくもあります。

当院も日曜に診察していますが、結構お父さんががんばってくれており私もこれはうれしい誤算でした。次回は小児科学会報告と休日のお話を。

4月25日
2007年
小児科学会

4月20日に診察をお休みして小児科学会に参加してきました。患者樣にはご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

さて、そこで私が気になったことのひとつは予防接種についてのことでした。皆様もご存じかもしれませんが予防接種についてはこの頃矢継ぎ早に改正が行われています。BCG、日本脳炎、麻疹・風疹混合ワクチン、三種混合ワクチン(期間厳密化)などです。

BCGや日本脳炎では伝達の方法はあまりにも唐突でしたし(医師も新聞ではじめてみる=それも主要4紙すべてでなく)、かといってMRワクチン2期の接種では国民にいまだに十分周知されていません。また予防接種期間についてはあまりも厳密になりすぎる方向で後退ではと思える部分すらあります。なぜこうなるのでしょうか。

結局は我が国の予防接種に対する意識が低いと言わざるを得ないということでした。厚生労働省の予防接種担当は非常に少ない人員しかいないそうですし、国民にも予防接種に対するアレルギー的なものが存在するとのこと。予防接種の種類はいまや北朝鮮なみ(あまり他国と比較するのは失礼とも思いますが)でありとても先進国とは思えない状態だそうです。

これは私たち医師にも責任はあります。日本の医師(厚生労働省もですが)はいざ病気が発症した場合の対処は非常に優れているとは思いますが予防という意味ではほとんど興味を示しません。予防接種についてもやっと学会で盛んに取り上げられるようになってきたところですし医学部の学生に予防接種の教育はほとんどなされていません。

世界で最も予防接種が盛んなアメリカの最新予防接種プログラムでは(リンクしておきます)総接種数は30近く日本の3倍程度にものぼり、また接種完了しない人は小学校に入学できない徹底ぶりです。またロタウイルスの予防接種では腸重積の副反応が出現しているものの効果の方が上回るとの判断で継続されています。個人だけでなく国を感染から守るという姿勢と(アメリカの医療がすべて優れているとは思っていませんが)国民がそれを承知していることはすばらしいことと思います。

アメリカの有名な感染症の教科書にはおたふくかぜの項目はほんの数行しかなく 耳の下が腫れたら おたふくかぜ以外 の病気を疑え と書いてあります。(つまり予防接種が徹底しているので国全体としておたふく風邪の流行がない)

日本(人)ももう少し予防接種に積極的にならねばならないのではないでしょうか。

4月10日
2007年
さくら

和歌山城の桜ももうおしまいですが、今年本当にひさしぶりに和歌山城の桜を見にいきました。徒歩3分という当院の立地上逆に「和歌山城はいつでもいける」ということで小児科開設以来おとづれていませんでした。(幼稚園、小学校で遠足に頻回におとづれていたからかもしれません)さて、久しぶりにおとづれた和歌山城は桜も以前より沢山になり美しく、屋台も多くでており、その賑わいに少しビックリしました。(お声をかけていただいた患者さんにも少しビックリしました)近くにありすぎてわからないこともあるのだなあ、と反省しきりです。これからは毎年おとづれようと思います。

さて新年度がはじまりました。新年度から当院は3人の新人さんに働いていただくことにしました。今回はバラエティー豊かな陣営とさせていただきましたが、それぞれ子どもを取り巻く環境におられる方ばかりです。従来の月山病院小児科にはないどんな花を咲かしてくれるのでしょうか、当院の新しい さくら もどうぞよろしくお願いいたします。

3月31日
2007年
とある小児科医のつぶやき

今回は大変残念なお話をしなければなりません。昨年から常勤医として頑張ってくれた守脇先生が3月いっぱいで退職されます。これにともない診察日、診察医が変更となり、火曜日の夜診は中止せざるを得なくなりました。患者さまには大変なご迷惑をおかけし申し訳ありません。

今回の退職の理由につきましては、別段守脇先生と喧嘩したわけでもなく、小児科をめぐる所々の事情(小児科医不足に伴う事情)ということでご勘弁ください。

実はこのことは半年前頃から検討せざるを得ない状況で今はもう淡々としているものの、当初は相当へこみました。月山病院小児科初の外来日縮小という方向は今まで応援していただいておりました患者樣に申し訳なく落ち込むことしきりでした。

また長年、小児科外来で働いていただきました平野看護師も退職されます。

とは言うものの、月山病院小児科は落ち込んでばかりはいません。まずは非常勤で去年まで働いておられました板橋先生が復帰します。(この一年で病院講師となられ偉くなられました)、月山聖子も専門外来をはじめます、また保育士さんに外来業務に加わってもらったり日曜日にはフロアー担当者をおくこととしました。当初はご迷惑をおかけすることもあるかとは存じますがなにとぞ新たな挑戦と考えご理解いただきたく存じます。

なかなか人生うまくはいきませんが、めげることなくあらたな挑戦をし続けたいと思っております。月山はコロコロ変わるからなあー、というお叱りもごもっとも、ですが、もがき続ける月山病院小児科をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

2月8日
2007年
ある発言

厚生労働大臣の発言が波紋を広げています。私はその言葉の思慮のなさにもあきれましたが少子化担当の大臣からの発言であったところに問題があると思うのです。担当大臣ですらこれ位の認識である、というところに行政側全体の認識のなさを感じています。(ただ、それを責める野党やマスコミにも認識がないと思います)

少子化は女性個人の問題ではなく社会の問題である、このことがわかってらっしゃらない。子どもを大事にする社会、子どもをもつことを喜ばしいとする社会をつくるという根本がないように感じます。女性にしか子どもは生めませんが、子どもを望むかどうか、というのは男性や社会の希望が当然からんでいるのです。合計特殊出生率という一生に女性が生む子どもの数という数字がひとり歩きしているようにも思えます。この数字を上げるには、どうすればいいか、とばかり考えているのではないでしょうか。合計特殊出生率をあげないと年金が破綻する、経済が破綻する、だからひとりの女性にもっと生んでもらいたい、と。

子どもが幸せに暮らせる社会の構築はどうなっているのでしょう、合計特殊出生率はあがっても不幸なこどもが多くなっては元もこもありません。子育て環境の充実によって 結果的に 合計特殊出生率が上がることが理想ではないでしょうか。

少子化に対応してこなかったこと、遅れたことを厚生労働省は反省すべきなのですが、そのことを女性個人の問題へ責任転嫁しているようにみえます。それが、大臣の発言につながっているように思えてなりません。少子化は自分の責任ではないと思っているからこその発言と思いました。

1月28日
2007年
2007年

あけましておめでとうございます。相当遅くなり申し訳ありません。昨年生まれたアドベンチャーワールドの双子のパンダも体重が1kgを越えたようでスクスクと育っているようでなによりです。

さて2007年も幕を開けましたが、小児科の環境は厳しくなるばかりで、月山病院小児科としましてもまだまだ患者さんの希望にそえないことも多く申し訳なく思っております。新年度(4月)からの小児科の体制につきましても現在検討しているところです。

そのなかで今回はじめてホームページにてスタッフ募集のお知らせを出させていただきました。ホームページの意図からは少し外れているかもしれませんが、当院をご存知なかたにスタッフに加わっていただけたら、という希望もありご容赦いただければ幸いです。

本年は医療スタッフの充実をはかりたい、と思っております。医師、看護師という医療専門職だけでなく保育士さんや心理士さんなど、子どもにかかわるスタッフを充実させることによって病気だけでなく、幅広い子どものトータルケアを行っていけたら、と思っております。ご興味がございましたらメールをいただければ幸いです。

本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

12月31日
2006年
アドベンチャーワールド5

アドベンチャーワールドのパンダがまた増えました。双子が生まれたそうです。これでアドベンチャーにいるパンダは8匹で、婿に中国へいった雄浜を含めると9匹となります。母さんパンダ梅梅が7匹生んでおり、また冬に出産したり、双子を育てたり大活躍です。

以下パンダバックヤードツアーで聞いた話。(聞き間違っていたらごめんなさい)

パンダが双子を生むというのはよくある話だそうですが、自分では育てられなくて人工飼育するのだそうですが、梅梅はそれを拒み自分で前の双子(隆浜と秋浜)を育てたそうです。これは世界でも大変めずらしいのだそうです。

パンダのペアリングは中国からの指示で決まっており、大きく分けて4家系があって違う家系どうしでしかペアリングできないそうです。実は永明と良浜はペアリング(!)が可能なのだそうでアドベンチャーが狙ったのは梅梅と良浜のダブル出産だったそうです。おそるべしアドベンチャー。

また日本にいるパンダは上野動物園を除きすべて中国からの”貸し出し”であって生まれたものもすべて中国のものだそうです。だから”返せ”といわれればすべて返却しなくてはいけないそうです。でも、そろそろ7匹生まれ雄浜を婿にだし、もう1匹くらいだせば、、、との淡い期待も。

永明父さんは、働きものかというと全くそうでなく、ぐうたら親父なんだそうです、どうしようもない、だそうですが、それがいいのかなあ、とのこと。がんばれ、とうちゃん。

とにかく飼育数では、中国以外断トツのアドベンチャー、返して、と言われないよね。

と、大みそかにパンダ談議。

この日記を読んでいただいた方(きっとそんなに多くないでしょうが)今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

12月24日
2006年
アドベンチャーワールド4

最後に アドベンチャーワールドのオリジナルソング Shine on you が流れると うきうき すればあなたは立派なアドベンチャー中毒です。

といってたらパンダの双子が出産。
ということで次回もアドベンチャー(パンダ)のお話で。

12月23日
2006年
アドベンチャーワールド3

冷静にアドベンチャーワールドを考えてみます。私は動物園が好きなので結構日本各地の動物園、水族館をみてきました。アドベンチャーワールドは動物園としてはやややり過ぎの感もいなめません、商業主義といわれれば確かにそうで、動物だってパンダにいたるまで働かざるもの食うべからず、という状態です。

しかし、他の大都市でも動物園はさびれてきています。動物園というのはコストがかかるでしょう、子どもも減っていきます。和歌山城の動物園だってこの先どうなることでしょう。商業主義だからこそ和歌山の田舎にあれほどの動物を集めることができるのです。アドベンチャーがなくなれば和歌山で象をみることができなくなってしまいます。

動物の凄さ、大きさ、怖さや可愛さ、などはやはりバーチャルでは決してわかりません。そして命の大切さも。たしかに動物には多少のリスク、ストレスがあるかもしれませんが、パンダにおいても出産多く頭数は世界一(中国以外では)なのです。私は動物と触れ合えるところが近くにあってうれしいです。(あっ、みさき公園もあった)

ところで白浜の人というのは和歌山市の人よりよっぽど商売が上手です。自分たちの持っている資産を最大限に利用し、自分たちで考え、絶えず工夫し、たくましく生きておられるような気がします。都会的な考え方の人が多いのでは、とも思っています。和歌山市負けてるんと違うか?。

12月17日
2006年
アドベンチャーワールド2

アドベンチャーワールドについて今回も。
バックヤードツアーが好きだといいましたが、決してそれだけで通ってるわけではありません。サファリはあまり変わらないけれど動物達は季節ごとにに違う表情をみせてくれるし成長もします。(幸浜大きくなったなあ)朝、昼、夜(ゴールデンウィークや夏休みには20時まで開園してます)で違う雰囲気だし、ショーだって時には珍プレイもでます。

ショーでの珍プレイをひとつ。
イルカのショーにカワウソをつれてきたのですが、カワウソが怖がってプールの中へ逃亡、ショーは中断、30分以上の大捕物劇、ナイトの最終だったので結局ショーが終わったのが21時でした。カワウソのすばしっこさと人間の知恵比べが笑わせてくれました。

また隠れたところでは
アドベンチャーワールドのある授乳室には動物の絵が壁にあってそれはとってもかわいらしいです。一度のぞいてみてください。

私がアドベンチャーワールドが好きなのはその姿勢にもあります。絶えず新しいことに挑戦しようとしているところです。施設としては決して新しくもなく、大分くたびれてきています。オルカも死んでしまいました。でもバックヤードツアーはもちろんのこと、11月におとづれたらペンギンの行進なんかしており、イルカのショーにオウムが飛んでいました。些細なことだけれどあるものを最大限につかってがんばろう、というたくましさをアドベンチャーワールドには感じるのです。それはなんだか動物にも乗り移ってるような気もします。また閉園時間を1時間もすぎて最後までショーを貫徹(より丁寧に)する心意気も好きです。

まあ、商売といってみればそれまでですが。
そのへんをまた次回に。アドベンチャーは続く。

12月9日
2006年
アドベンチャーワールド1

ちょっとお堅い話題が続いたので私の休日のお話を。

私のお気に入りの場所といえばアドベンチャーワールドです。
白浜の近くに一年間住んでいたことがあり、それ以来のお気に入りで年間パスポートは4年ほど連続して更新して、のべ20回以上おとづれています。最初のころは白浜に遊びにきてくれた人達をつれていき、息子ができてからは息子をつれ、今は娘もつれて家族4人でおとづれています。

何回もみるものがあるの、とよく言われます。年間にすると5回くらいいくわけですから、そんなに変わるわけでもありません。ショーだってあまりかわらない。

しかしアドベンチャーワールドにはバックヤードツアーというものがあって、これにはまりはじめてからやみつきになりました。それなりにお金もとられるので年間パスポートで年間の入場料を安くあげ、ただで入った日にツアーに参加するようにしています。私がお勧めするバックヤードツアーのベスト3を勝手に紹介させていただきます。

1 パンダのバックヤードツアー
なんとパンダを檻ごし(ガラスなし)1メーターでみられるうえに餌やりができる。日本ではここだけでしょうし、世界でもないのではないでしょうか、出てくるパンダは違うこともあり何度みても感激まちがいなし。
2 カレンダーツアー
私も患者樣のおかあさんから教えていただきました。アシカ、イルカ、ペンギンなどのバックヤードをめぐり写真をとりカレンダーを作ってくれます。アシカは握手や頭の上に顔をのせてくれたり、ペンギンをだっこさせてくれたり、イルカと握手したりします。それが1グループ2000円(1人ではない)、最もお得なツアーではないでしょうか。
3 サファリの各種ツアー
ケニア号のところでいろんなツアーがあり、象の餌やり、ライオンの追い込みなどなど。私の今のお気に入りはキリンの餌やりがついたツアー、長い舌でべろんちょと食べてくれます。

これらのツアーは開園後すぐに満杯になるのですが人が少なくなる冬場は狙い目です。暖かい格好でぜひ。

アドベンチャーワールドを語りだすと止まらないので続きをまた次回に。

11月22日
2006年
必須科目って

高校での必須科目の未履修問題がありました。このことについては皆さんうすうす気がついていたのではないかと思います。また生徒自身はもっと前から(私の高校時代ですら)社会や理科で自分の受験に必要ない科目についてはほとんど授業を聞かない、試験勉強すらしないという状態でした。今回の事件を受けてインタビューを受けた生徒が”受験に関係ない勉強はしたくない”と応じていました。

大学をでた芸能人がクイズ番組などで四国四県を言えず、唖然とすることもあります。たしかに、それでも大学は行けるのでしょうがそれでいいのでしょうか。必須科目というのは日本人としてせめてこれくらいの一般常識をつけて欲しいということではないかと思うのです。または生きていく術を教えてくれるのではないかと思うのです。

受験に関係ない勉強はしたくない、という生徒は受験に必要な勉強はとてつもなく深く勉強し、その科目についてはスペシャリストになっていることでしょう。しかしそのスペシャルリストも失敗することもあるのです。失敗した際その知識しかない人は挫折してしまいます。

こどもには社会の多様性や広がりやいろんな可能性を教えてあげて欲しいと思うのです。15歳程度でスペシャリストになる必要はあるのでしょうか。ひとつのことに失敗してもいろんな可能性があることを、または世界の広さを教えることは生きていくうえで重要であるような気がします。

この辺はこどもの自殺問題や不登校とも関連しているような気がします。ひとつのことに失敗してもちがう世界で生活していけるたくましさ、子どもにこそ再チャレンジする素養を身に付けさせて欲しいものです。

10月22日
2006年
美しい国

日本を美しい国にしましょう、という政治家がいます。汚い国では困るから、これは正しいしと思うのですが、なにか違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

夕日の落ちる海、紅葉、都市の夜景など日本には美しい景色があります。京都や奈良の美しい文化があります。このような物体に対しては無条件に美しくする、でいいのだと思います。しかし汗水流して工事現場で働く人、徹夜で働いて化粧は落ちてるけどきびきびしてる女性、田んぼで泥まみれになって田植えするおばあちゃん、を私は美しいと感ずることがあります。もちろんこれらの人のことを含んでの「美しい国」発言なのだと思うのです。しかし、その当事者は美しくあれ、と思いながら動いてるわけではないと思うのです。なにより、本人が美しくしようとしていないから、私は美しいと思うのではないでしょうか。本人がかっこよく、美しくしようとした瞬間に他人からみると美しくなくなることはないでしょうか。

私は結果的に他人からみて美しい国になるのはいいのだけれど、当事者が美しくなることを目標にするのは厚化粧をするようで、また何かよそよそすぎるような気がします。美しくなるのは結果であってそれを目標に据えることには違和感を感じます。自分の子どもに「美しくなれよ」とは私は言えないのですが、皆さんはいかがでしょう。ひねくれてますかね。

一生懸命な国、しかしこれじゃあ、やぼったいですね。

10月15日
2006年
川の名前

ひさしぶりに本の話をします。この夢想の一番最初に夏のロケットという小説のお話をしましたが、その著者川端裕人さんの川の名前という本です。川端裕人さんの作品はその後も時をみては読んでいたのですが、夏のロケットのあとの小説は少しマニアックで科学的小説なものも多くハードボイルドな要素を強く感じるもので読み切るのにも労力が必要でした。しかし「川の名前」は少年たちのひと夏の冒険を描いた小説です。

十五少年漂流記、ってご存知でしょうか、私が小学生の頃図書館で何度いや何十回へたすると百回近く読みました。いまでもその小説を読んでいる自分の記憶があるくらいです。ひと夏の冒険という響きは30年たった今も私を揺さぶり続けます。

さて小説は川を中心に進行します。私の実家の近くにも矢田川というドブ川(失礼かもしれません)があって昔から汚かったのによく遊んでいました。船を浮かべたり、へんな動物をみつけたり、いまから思えば親はよくなにもいわなかったものだとも思います。小学校の自由研究で海までたどっていった記憶もあり、少しだぶりながら読んでしまいました。

こどもって、水が好きですよね、海そして川、公園で人工的に作った川だって休日ともなれば沢山の子どもでいっぱいです。しかし近くにあった矢田川の多くはコンクリートで蓋をされ、そこで遊ぶ子どもは見かけなくなってしまいました。安全は大切だけれど子供たちにほんものの川と接する機会をもう少しもたせてやりたいと感じました。

夢見るおじさんに読んで欲しい本でした。

9月3日
2006年
横浜

9月2日に横浜で学会がありました。約5年ぶりに横浜にいきましたが超高層ビルが乱立し大きく変化しているのには驚きました。また横浜に到着したのは23時30分というのに駅では乗車口あたり人が10人以上もならび、ホテルのチェックインでは3人も受付がいるのに行列が。また以前ならその時間は疲れた壮年の方が多いように思ったのに、今は若い方がビジネススーツをビシッときて結構元気に動いていました。大阪や神戸などと比べても首都圏の活気はすごいな、(若い人が多いな)と思いました。後で聞くと横浜市の人口は350万人(和歌山県の3倍以上、和歌山市の10倍程度)とのことでした。

我が町をかえりみて、うらやましく、少し落ち込んだりしました。ビルの立派さもそうですが、やはり人々の元気さに差を感じてしまったからです。

和歌山の魅力はいっぱいあるように思います。大都市にはない魅力をだすことによって若者がもっといきいきできる町を作れないだろうかと思います。そのためには逆に和歌山の人には他の都市をみて逆に和歌山しかないものに気ずかれるべきなのではないでしょうか、大都市に負けつづけては、やはり元気がでません、大都市にも誇れるもの、を若者に提示してあげれるような、そんな町であって欲しい、と思いました。


   
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